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2012年4月

ゾッウッゾッ

・印刷機がゾッウッゾッと出してゆく空に根を張るごとき梅の木
(藪内亮輔「海蛇と珊瑚」 2011年角川短歌賞次席作品)


「海蛇と珊瑚」の一聯からは紹介したい歌がたくさんあるが、この一首を選んだ。

藪内さんの作品は描写の丁寧さ、確かさ、その背景にある観念の分厚さが魅力である。描写の丁寧さは冒頭の数首で力強く提示されている。

・月の下に馬頭琴弾く人の絵をめくりぬ空の部分に触れて
・明け烏ふはりと空を降り来たり黒きつばさの裏をさらして

そういう中で垣間見られるユーモアもまた、作者の魅力である。

・数式はあゆむ間にさへ現れてわれを電柱にぶつからせしむ
・くらがりに電話ボックスひとつありすらりと光立ててゐるなり
・コンビニに貰ひし箸についてくるつま楊枝ちさく先尖りゐる

そのふたつが交差するところに、次のような秀歌が生まれる。

・ポケットに冷たく握る硬貨あり百円玉の花は枯れない

紹介歌は丁寧さとは異なるが、ダイナミックでいて緻密な描写が他にはない気がする。ゾッウッゾッは言われてみればなるほど、「空に根を張る」というから根っこの方から印刷されているのであろう。(もしかしたら枝の様子が空に根を張るようであるのかもしれないが、梅の木が逆さに印刷されてゆくダイナミズムとして読みたい。)梅は古木であろう。写真というより水墨画のような重厚さが伝わってくる。

「海蛇と珊瑚」全体としては「死」が主題と読み取るのが自然だろうが、作者としては死を自分に手繰り寄せきれていないように見受けられるのが残念である。少し客観的な立場としての

・おしまひのティッシュペーパー引くときに指は内部の空(うつほ)もひけり

のような歌の方が成功しているように感じる。

最後に作者の好きな蛇の登場する、少し(技巧的に)お洒落な歌を紹介してこの評を終わることにする。

・ときどきに句跨るからこそ歌に蛇(くちなは)がくる花をくはへて

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悲しいだった

思いたたが吉日。早速一首評ブログをスタートです。有名な秀歌を取り上げるより、自分が気になった歌、好きな歌を紹介できればなあと思います。月二回程度を目標に。ケータイ短歌からの紹介が中心になると思いますが、今回はこちらです。


・三越のライオン見つけられなくて悲しいだった 悲しいだった
(平岡直子「みじかい髪も長い髪も炎」 歌壇2012年3月号)

正月にラジオで天皇杯サッカー中継を聞いていた。決定的な瞬間に思えたのだろうか、高まる歓声に続いて実況のアナウンサーが、「ああ、今のはオフサイドだったですね」。

有名な三越のライオン像。見たことはないけれど、当然のごとくその存在は知っている。待ち合わせ場所になるくらいだから、目立つ場所にあるのだろう。それを見つけられなかった。

「悲しいだった」からは、言いようもないやるせなさが伝わってくる。興奮冷めやらぬとき、気持を整理し切れていないときには、文法的におかしな言葉が口を突いて出てしまう。日本語として正しくは「悲しかった」や「残念だった」であるが、これでは既に過去の出来事となっており、落ち着いて振り返っている。「悲しいだった」によって、今まさに悲しい状態にいるという臨場感、加えてそのような境遇にある作中主体が浮かび上がってくるのである。

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さみしいけれど

3月18日 夜はぷちぷちケータイ短歌

月刊テーマ「先生」

・先生に「わかりません」と言われた日世界の色を塗り直した日
(東直子さん選、放送外)

企画テーマ「もらい泣き」

・かなしみの君の欠片をばら撒いた空が泣き止んだらもらい虹
(東直子さん選、放送外)

・うなだれた君を見下ろす電線のすずめがもらい泣きして時雨
(だいたひかるさん選、放送外)


三首も採られたのは初めてかも、と思ったら、これが夜ぷちでの最後の採用となってしまいました。

先生にわかりませんと言われたのは百人一首です。幼稚園のときのこと。先生は何でも知っている存在と思っていたので、ひどくショックを受けたことを覚えています。質問が質問ですから無理もありませんが。

「もらい泣き」の二首は「かなしみの欠片」「もらい虹」「雀の目にも涙」からスタートしたのですが、無理矢理相聞歌に着地したところがあります。東さんに採っていただけたのは嬉しいですが、果たして自分らしい歌なのか、複雑な気持ちもあります。

ケータイ短歌、とうとう終わってしまいました。二年間だけ関わったこの番組からは短歌の楽しさの他にも、とても大切なものをたくさんいただきました。寂しいですが、ちょうど一区切りだなというのも正直なところです。幸運なことに活動の場はできつつあるので、短歌はこれからも続けていきたいです。

ケータイ短歌の備忘録として始めたこのブログ、他に主な投稿先もないので、これからは一首評ブログとして運営していこうかなあと考えています。「たたたん、たたたん、たた短歌」を別の形でお楽しみいただけるようにできればなあと思っています。

Tata

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